スケジュール調整は、
頭だけ使えばいいものではない。
いろんな人に迷惑がかからないように、最善を尽くす。
自分が最高に自由でいられるように、天気も見たり、気温差も見たり、そこまでするのって言われるかもしれないけれど、私はする。
それで、ずっと予定していたプライベートの予定が潰れた。
だけど、それは今やることではなかったということ。
自由は簡単に手に入らない。
計画的に条件を揃えたところで確実に手に入るものでもない。
苦しみの先に見えることも多い。
実体はよくわからず、認識もひとそれぞれで、虹のようなものなのかもしれない。
代わりに、今自分が最も美しく楽しくやれることへ向かっていることを確信している。
没入できる本を見つけた。(本質を見抜くまでなんども理解しようとする努力は、自分の財産になる。)
大切な仲間がいる。(なんでも話せる人は自分を自由にしてくれる。)
音が綺麗になっていく。
それを届けたい人たちがいる。
綺麗なものを作るために生きるのではなく、
自分に正直になり、周りを大切にすることで音が綺麗になっていく。
嬉しい。
そういうこと。
スケジュール調整のことって難しいので、自分も本気でたまに考えてしまいます。
仕事の時間、プライベートな時間、個人の意識の中の時間・・それぞれの自由な時間をいかに配分していくか・・そのことが人それぞれの生き方にもつながる。
どの選択が自分にとっても、大切な人にとっても、時を一緒にする仲間にとっても最善なのか、、、正しい答えは、立ち止まってゆっくりじっくり考えてもわからないし、
はるか未来になった時に振り返ったとしても、わからないのだろう、、。
未季さんの言うこと、ごもっともと思います。
自分だけの自己満足でだったら、綺麗なものはいつか作れると思います!
しかし生きている関係性の中でしか産み出せない美しさがあって、そういう美しさは、
自分一人だけ死ぬほど頑張っても、そう簡単にはつくりだせない。
そのことに気づいた人と気づくことができない人の差はとてつもなくでかく・・感覚的には何万光年も離れていて、きっと相容れないものかもしれないです。
自分と、自分のまわりの誰かや自分のまわりに起こり得るすべての現象との間にある磁場のようなもの、宇宙にあるダークマターや重力のように引き合ったり、ダークエネルギーのように反発しあう力をうまく生かすことが意識的にできれば、お互いにパワーが行き交い、新しいパワーに変えて補えあえるし、すごい予想だにしないようなエネルギーが発生するから、そういう関係性の中で生まれ出づる綺麗さは、大切にして生きていきたいと、私も心底思います。
綺麗なもの、綺麗な音をつくるという目標のために生きることは、生きることそのものがいつしか手段となってしまい、体や心を酷使することにつながります。
生きる=手段
↓
綺麗なものをつくる=目的
↓
苦しみもともなう実体のない一瞬の美しさや誰にも共感されないような自己満足=結果
それより、、
周りを大切にしたり、特に大切な仲間を思う=手段
↓
自分が自分に正直になる=目的
↓
自由を得て自由に生きることができる=結果
↓
音がより綺麗になっていく=予想されない第2の結果
自分に正直に自然な状態で生きて、大切な人との繋りをより大切にして生きるという目標のために生きて、未知の領域に精神的に到達できたら、個人的な狭い幸せでなく広い意味での全体的な幸せになることが可能かもしれませんし、そういう瞬間が増えていく人生なら価値も意味もあると思えるから、本当にそういう風に生きれたら嬉しいですよね。