4.30 お知らせとこれからのこと

とても嬉しいお知らせです。

本日情報が公開されました、 KADOKAWA READPIA 朗読劇『モノクロの空に虹を架けよう』の音楽を担当いたしました。
脚本は吉岡茉祐さん、演出は田邊俊喜さんです。
とても素敵なオリジナルの作品です。
5月10日(月)よりニコニコ動画の「READPIA」チャンネルにて配信開始です。

今回の音楽の制作では、
ヴィオラを大辻ひろのさんに、1st バイオリンを金子由衣さんに演奏していただきました。お二人のおかげで、本当に素敵な音楽ができあがりました。ありがとうございます。



そして、今までのことと、これからのことを。

少し長くなってしまいますが、
シンガーソングライターであり、作曲家であり、歌手である私の今の軸ができるまでの数年の話を振り返って書いてみました。
今大切にしたいことや、あまり書けなかった挫折した話も書いてみたので、よかったら読んでやってください。



劇伴作家としての活動が増え、今では同じかそれ以上を占めている状態です。全く想像もしていませんでした。

2016年頃からぽつぽつ、いわゆる歌のないインストゥルメントの作曲の依頼が来て、2019年にミュージシャンであり作曲家の大先輩のmanzoさんと出会い、そこから一気に舞台の音楽のお仕事をいただけるようになりました。

いろんなインタビューでもお話させてもらっているのですが、もともと作曲家になりたかったのです。
振り返ると、2018年に川崎僚監督の映画『Eggs 選ばれたい私たち』(現在日本で上映中です!)の劇伴と主題歌、両方を担当するという機会をいただけたことが大きなきっかけでした。主題歌の『あお』はもともとあった私のオリジナルの楽曲を使ってもらい、劇伴はいただいた脚本と編集中の動画を見てそこから作りました。ある程度悩みはしたものの、あまり無理なく、自然に自分らしく音を生み出すことができたと思います。
そして完成された作品がスクリーンで実際に流れたとき、素直に感じたのは、「あ、大丈夫かもしれない」という感覚でした。

「大丈夫かもしれない」というのは、私を知っている人はもうご存知だと思うのですが、私は基本的にネガティブ人間なので、
「作品を壊してはいないだろうか、私の感覚は間違っていないだろうか」と、とにかく迷惑をかけないように意識を置きながら、不安やプレッシャーと戦い、制作していました。
(いざ制作を始めると時間を忘れて夢中になっているのですが、作業していないときはずっとそんなことばかりに考えていました)
なので、「あ、大丈夫かもしれない」と思えたことは、たぶん私にとっては珍しく胸を張れることであり、そして希望でした。


また、昨年、幻冬舎の「あたらしい経済」のOPを作ったたとき、
元々は2曲提出したうちのイメージに近い方が採用される予定だったのですが、先方に気に入っていただき、2曲とも採用されました。(修正も細かい尺の調整をしたくらいでした)それも大きなきっかけでした。
その編集長であり『畳み人という選択』の著者もである幻冬社の設楽さんと、VoicyでおなじみのDJ Nobbyさんとお会いする機会をもらい、「わくわくできるって大切だよね」というお話で盛り上がり、こういう大人になっていきたいな、こうやって生きていきたいなと思いました。

今はコロナ禍のため、舞台の稽古や収録に参加することは全くできていないのですが、それでもリモートで連絡をとりあいながら安心して進めることができています。新しい刺激をいつももらっています。もちろん苦しいこともありますが、やっぱり素直に楽しいです。

改めて思うのは、一緒に仕事をする人とどんなに頑張ってもうまく噛み合わなかったり、自分を犠牲にし続けて壊れてしまうくらいならば、どんどん居場所を変えてもいいと私は思っています。実際そういう出来事がいくつもありましたし、今思えば自然なことだったと思っています。
だからこそ、今がとてもありがたい。
もしかしたら、20代でいろいろあってよかったのかもしれないです。

「お客さま」に対する考え方も大きく変わったと思います。
シンガーソングライターとしてライブ活動がメインだったときは、シンプルに「ステージの目の前のお客さまがお客さま」という意識だったのですが、
今は作曲家としての仕事は監督や演出家から依頼が来るため、お客さまは客席のお客さまだけではなくなりました。もちろん、みんなそれぞれが大切な人たちです。

また、3年前に引っ越しをして家にスタジオを作ったのですが、
もう100曲は作ったので「いろんな音が生まれるはじまりの部屋」みたいな感覚になってきました。

一見違う軸を持つように見える2つの仕事ですが、もしかしたら、シンガーソングライターとして今まで味わってきた、本番の身体中の細胞を開いていく「あの感覚」や、お客さんの座席から伝わる「そわそわ、わくわく」が、少しは役に立てているのかもしれないな、とも思いました。

そういう個人的な変化が起こる中で、昨年コロナウイルスが現れ、ライブも舞台も延期や中止になり、やっとこれからというところで、私の仕事はほとんどなくなってしまいました。
リモートで好きな人たちに声をかけて『A New Normal』を作ったり、少し休みはとりましたが、基本的にはDTMの技術の向上やアレンジの研究をしていました。
わからないことはmanzoさんにリモートで教えていただきながら、自分に足りないものを日々埋めている、という感じで生活しています。

劇伴で学んだことが自分の楽曲に活かされたり、逆に自分の楽曲の色が劇伴にも出たりして、取り組む度にぐんぐんと新しい植物が育っていく感覚があります。今、もしかしたら今までで一番楽しいかもしれません。

反面、大きな挫折もありました。
あまり詳しくは書けないのですが、実はメジャーデビューを控えていたのですが、いわゆる大人の事情で消えてしまいました。昨年の2月でした。そこに向かって準備をしていた数年だったといっても過言ではありませんでした。でも、今思えば、それは私にとっては重たすぎることだったのかもしれません。

自分は歌手としてやっていくと思っていたのに、作曲家にもなっていて、また別で他の人が作った歌を歌う歌手としてのお仕事もあって。他にも体のことで病院に通った時期もあったりで(今はもう元気です)、自分の人生が大きく揺れる中で、混乱していました。
コロナだけでもしんどいのに、勘弁してくれよ、どこまでしんどいことが起こるんだよ、という気持ちでした。みんなも仕事なくなったりして大変だし、と言い聞かせながらも、やっぱり辛かったです。

それでも、気づけばいろんな場所に自分の居場所ができていました。
周りにいる人たちは「小林未季らしい世界観」を理解した上で付き合ってくれている方ばかりです。そして何より、ものづくりに対して一生懸命で、真面目。
その居場所のどれもが私にとってはありがたく、愛しく、そして私らしく自由でいさせてくれます。

そんなわけで、
これからもシンガーソングライターとしても劇伴作家としても歌手としても、自分らしさを大切にしつつ、みんなで楽しく乗り越えて生きていきたいね、というおはなしでした。

ちなみに今、
劇伴作家としては、『YOSHITSUNE 廻』の音楽を、manzoさんと亀田萌子さんと共に制作中です。

シンガーソングライターとしてはカメレオンカルテットのメンバーと共に『新しい道のはじまり』『時間(とき)』をリメイクして配信に向けて制作中です。

リメイクが増えたらアルバムにして、それを持ってツアーがしたいです。

そして今、コロナ禍ではありますが、我慢ばかりではなく、
大好きなことをしたり、ときどき思いっきり自分を甘やかす時間をつくったりして、
気づいたら乗り越えていた、くらいの感じでいけたらいいなと思っています。

特に、私の音楽が好きだという方は、我慢が上手な人が多い気がするのです。
それはいけませんぞ〜(突然のムック感)

これを読んでくれたあなたが、深呼吸できていますように。
そして、また思いっきり笑顔で会える日が少しでも早く訪れますように。

読んでくれてありがとうございました。
またね。

小林未季

おまけ
4月に車の免許をとったのですが、それを友人に話したところ、笑顔で同乗を拒否されました。一体どういうことなのでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です